『茶の本』と功夫。今回も荘子で。 ハイデガーの前に今回は脱線して、再び「武道」と荘子で。 岡倉天心が、西洋で起こった武士道ブームを意識しながら『茶の本』を出版したということのついでに。武道と茶道について、思い出したことがあったんですよ。 ジェット・リーと中村獅童が共演した『SPIRT』という作品があります。 ジェット・リーの作品は、アメリカ向けのアクションのイメージが強いですが、彼自身が本当に強いだけでなくて、歴史的、思想的な裏打ちがしっかりとしているセリフが多いんです。日本武道と対決する作品でも鋭く日本の文化に切り込んできています。立ち位置が絶妙なんですよ。ジェット・リーは。 伝説の格闘家・霍元甲と、日本の格闘家、田中安野(←変な名前だ)がお茶を飲みながら「茶」と「武」について語り合う場面で、こうあります。 田中「先生は本当に茶をたしなまれないので?」 霍元甲「学ぼうとは思いません。茶は茶であればいい。優劣は不要です。」 田中「しかし茶の品質には優劣があります。どう見分けるのですか?」 霍元甲「同じ自然の中で育つものに、優劣はないはずです。」 田中「もしや、先生は茶がお分かりでないと?」 霍元甲「そうですね。思うに茶の優劣は茶自体が語るものではなく、人間が決め、各人の好みに左右されます。区別はしたくない。」 田中「ほう、なぜですか?」 霍元甲「茶は心持ちしだい。気分よく飲めれば優劣は問いません。」 田中「世の中には数々の武芸流派がありますが、それも優劣はないと言われますか?」 霍元甲「そうです。」 田中「では、先生にお尋ねします。優劣がなければ、なぜ技を競うのですか?」 霍元甲「あらゆる武術に優劣はありません。使う者の技量の差だけです。試合を通じて己の真の姿と向き合う。本当の敵は恐らく己自身だからです。」 田中「先生のお話、この安野感服しました。」(以上『SPIRT』より引用) ・・・・印象的なシーンなんですが、先週観直してゾクリと来ましたね。 日中の文化の違いと共通点、そして、茶道と武道の関連をここまで端的に表現しているというこの脚本の妙に。おそるべしですよ。老荘思想に強い影響を受けている茶道は、千利休がそうであったように簡素であるだけでなく、平等思想に傾くわけで、中国では茶葉の品質よりも、共有する時間や空間に重きが置かれているということですかね。 ちなみに、ある宣教師が17世紀の「茶の価格」について、 『シナでは一斤が一スクード、時に二、三スクードだが、日本では上質の茶になると一斤十二スクード』 と言及している箇所があります。中国から伝来した茶道が、日本では変容して、茶の品質にこだわりを見せていることの表れだと思います。同時に、今の日中の経済についても考えてしまう記述です。ま、その宣教師についてはいずれ。田中角栄が訪中した時、中国側が朝食に出した味噌汁が、彼の地元の味噌を使っていて驚愕したという有名な話がありますが、あれとかも、茶道における「もてなしの心」というやつの真髄ですよね。本場は本場のやり方や考え方があるってことでしょう。 おそらく、ですが、この『SPIRT』の脚本家は、新渡戸稲造の『武士道』と岡倉天心の『茶の本』を意識して書いていると思います。ほんとにね、ジェット・リーはちゃんと日本の思想を理解していますよ。偉いよ。彼は。 参照:Wikipedia ジェット・リー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC 今から100年ちょっと前、東洋が西洋に発信するときに、日本から出版された新渡戸稲造の『武士道』は大成功だったんですが、これに対抗して、中国でも・・多分、梁啓超、康有為あたりが言い出したはずです・・中国の文化を紹介するために、墨子の思想を宣伝したことがあったらしいんです。墨子は、紀元前に侵略戦争を否定し、勤勉と節約、それに兼愛という博愛主義を唱えた凄い人なんですが、これが失敗したらしく、あんまりウケがよろしくなかった。つーか、キリストよりも前に隣人愛を唱えた人物がイエローモンキーの中にいやがるというのが、当時の白人さんのシャクに障ったと見るほうがいいと思うんですがね(笑)。で、中国の文化の中で何が西洋にウケるのかっていう中国のアイデンティティのゆらぎは、その後の戦乱でさらにばらばらになっていたんです。しかも、国共内戦後の文革でさらに荒れてしまいまして・・。 しかし、そこに来たのがブルース・リーのカンフーブーム。(↑は、ノキアの広告かな?かっけー!) やっぱり白人が好むのはは暴力かと(笑)。李小龍も、香港なのでもともと南方系の文化の根強い場所なので当然ですが、タオイストです。クンフーは見世物ではなく、ちゃんとした哲学であることも訴えています(というか、武術はあそこまでいくと立派な学問ですよ)。 心を虚しく、形の無い水になりなさい カップに入れると、水はカップの形に従います また、ポットに入れれば、ポットになります 水は流れることも出来るし 衝突することも出来るのです あなたも水のようになることを学ぶのです (ピエール・バートンとの対談より。ブルース・リーの言葉。) 参照:YouTube 水になるんです http://www.youtube.com/watch?v=aTFd4GDKr5I ブルース・リーのこの言葉の出典は老子です。 「道沖、而用之或不盈。淵兮以万物之宗。挫其鋭、解其粉、和其光、同其塵。」(『老子』第四章) →道は虚ろな器である。いくら汲み出しても満たされることはない。底なしの、万物の源のようなものだ。道においては、全ての鋭さは鈍くなり、全ての激しさは解かれ、全ての塵は光となる。 「廷埴以為器、 当其無有器之用」(『老子』第十一章) →粘土をこねて作った器が役立つのは、その器の中が虚になっているからである。 「上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。」(『老子』第八章) →上善は水のごとし。水は万物を育みながら、それ自体は争わず、しかも人が嫌う低地へ低地へと遷ろう。それ故に道に近い。 ・・・「和光同塵」「上善水の如し」という日本でも親しまれている成語ですが、意味は深いです。冒頭の「心を虚しく」というのは同じく老子の第十六章にあります。今でも言いますよね。「虚心坦懐」というやつです。日本の武道においても大切な、無心とか平常心とかそういうのですよ。器と水の喩えというのは、かなり重要でして、「易経」の「形而上者謂之道、形而下者謂之器」(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)とかも分からないといけない。この単語は「形而上学」の語源になったものです。いや、深いですよ。これは。もともとブルース・リーは哲学もやっていたので、これだけ短く道を説けるわけです。 で、ジェット・リーがらみでちょっと新作でも手を出してみようかと、 最近公開された新作、ジャッキー・チェンとジェット・リーの夢の競演『ドラゴン・キングダム』(英:The Forbidden Kingdom 中:功夫之王)に手を出してみると・・・まるで、今までのわが苦労が無駄になりそうなほど、簡明に説明していますね(泣)。 ジャッキー・チェンが演じているのが道教の学者、 ジェット・リーが演じているのが禅宗の黙僧です。 実に見事に老荘思想と禅宗の関係を描いています。そしてそれを繋ぐキーワードは荘子でしょう。つーか、荘子の基礎知識も無い人には、分からないセリフも多かったと思います。 ただし、私は言いたい! ついにここまで来たのか! 『カンフーの習得には、長くつらい修行が続く 画家もカンフーの達人 そして熟練の包丁人は骨に触れずに、肉を切ることができる 型を学び、型を追い求めず 無音の音を聴く 全てを学び、全てを忘れる 古からの技を学び、独自の技を見出す 音楽家もカンフーの達人 詩人は言葉の絵画で、帝(みかど)の涙を誘う これもカンフー そのパワーは水の流れと同じ 限りなく柔らかく、だが、硬い岩をも打ち砕く 相手に逆らわず、流れるように包み込む 名前も型も無い 極意は己の内にあり 解き放てるのは己だけ』(以上、『ドラゴン・キングダム』より引用) ・・・こちらのセリフは、ほとんどが荘子です! 「道は一つ」ということですよ。いや、お見事。 ついでに、冒頭に日テレの西遊記の中国版を入れている所を含めて(笑)、いや、お見事。 参照:当ブログ 荘子と進化論 その8。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200908210000/ 世界に自国の文化を発信することについて、より高度な次元でできていることを羨ましく思いますよ。かつての「武士道」ほどに世界に訴えるものが無くなっていて『ラスト・サムライ』ごときに感動なんぞしやがって、日本人の心だの誇りだので終わってしまう日本人とは好対照ですよ。魂を二束三文で売り渡したバチがあたっとりゃせんですかね? ちなみに、『ドラゴン・キングダム』で引用した "Learn it all, then forget it all."(全てを学び、全てを忘れる) という部分は、 『酔拳』でも使われています。 八仙人の最後の女仙人の技の習得をサボったジャッキーが師匠(蘇化子・そかし)に助けを求めると、「こうなったら、八仙拳をミックスして、自分独自の酔拳を作り出すのじゃ!!」って、言ってるでしょ?これも功夫(クンフー)。 そして、 この人も、言います。 “You must unlearn what you have learned.”(今まで学んできたこと、その思い込みを捨てるのじゃ。)(スターウォーズ エピソード5より、マスターヨーダの言葉) ヨーダもタオイストですから。これも功夫(クンフー)。 ・・どんな時代であっても、どんなことであっても、最後に乗り越えるのは、自分ですよ。 当たり前のこと。大切なことです。 今日はこの辺で。 |